きっと会えるときまで

生きていれば きっといつか会えるから

一緒に会いましょう!

 

 

うん、ほんとうにそうですね。

色んなことがありますが

タイミングがやってくるその時まで

自分の目の前のことに精一杯✨

生きていきたいと思います。

 

 

この夏も。

盛りだくさん! 

長くて、短くて、記憶がないくらいです。

 

…神さま、もうそろそろ十分です(笑)

 

 

 

 

ヒーリングセッションは終了しました

今回、ブログタイトルから

「ヒーリング」を外しました。

 

ヒーリングサロンの活動や

各種ヒーリングセッションにつきましては、

現在は終了しておりますのでご了承くださいませ。

 

たくさんの素敵な出逢いをいただいたこと、

楽しかったことも 時に悩んだり迷ったことも

素晴らしい経験の数々、

多くの方々のたくさんの支えがあったお陰様です。

本当にありがとうございました😊🌸

 

 

 

現在は、我が家の子ども達のケアを中心に、

特別支援学級に在籍の次男に付き添い弁当持参で

40代にして久々の小学校生活を送る日々。

 

また2021年は専門学校で

精神保健福祉士短期養成講座を受講し、

12月に修了したところです。

 

ほんとうなら先日の2/5に東京へ行き

国家試験を受験の予定だったのですが、

コロナの急拡大もあり

翌週には長男の高校受験も控えていたので、

私の受験はまた来年とすることに決めました。

 

実際、日々に精一杯で勉強不足もあったので

これで良かったのだと思います。

コツコツと努力を継続するのは少し苦手な所ですが

もう1年かけて理解を深めていきたいと思います。

 

 

みんなが、

心穏やかに 安心して過ごせて

気持ちよく呼吸ができて。

温かい笑顔が自然とあふれますよう。

 

願いは変わらず

ただそれだけを想い続けています🍀

 

 

 

 

 

守られて、今があること。

すっかりご無沙汰していました。

2022年もよろしくお願い致します🍀

 

 

七夕ってなんか好きだな~♪などと

前回ブログにも書きながらワクワクとのんきに

していたところが、その七夕の日に。

 

交通事故に遭い、14年間を共にしたムーブとも

一瞬にして思いがけずお別れすることとなりました。

 

交差点を青信号で車で走行していたところを

赤信号で出てきた車とまともに衝突した割には

ケガは頸椎捻挫と左手のしびれだけで済んだのは

運が良かったとしか言いようがなく、

また子ども達もちょうど乗せていない時だったりと

本当に守られていたなぁと感謝するばかりです。

 

ちょっとした事故ならこれまでにもあったものの、

レッカー車を自分で手配したのも初めてなら

弁護士さんに依頼をするのも初めて。

 

過失割合0:10の場合には、自分の保険会社に

示談交渉に入ってもらうことはできないため、

自分(か弁護士)が直接交渉する必要があるとか、

相手の保険会社は全部は提示してくれないけれど

本来補償してもらえる部分はどれとどれだとか。

 

今まで知らなかったことも色々と調べたり、

一つの事故にもこんなにも多くの方が

関わって下さっているのだなぁと初めてわかり

多方面からお世話になることもたくさんで。

 

慣れないことばかりで四苦八苦していましたが

とてもとても勉強にもなった出来事でした。

 

 

とにかく、

命が助かったこと。

生きていられたこと。

 

 

色んなものに守られて自分が今あることを

ありがたく忘れずにいたいと思います。

 

 

 

 

七夕の星〜会えない時間がくれるもの

七夕の、星形のおせんべいをいただきました⭐

 

5〜6年ぶり!?に会う友だち。

でも会えば一瞬で時間が戻ったみたいに

変わらずあの頃の続きみたいに。

 

離れていても、会わなくても、奥底にどこか温かい

安心や信頼が初めから流れているような。

そんな風に感じられる貴重な出逢いがありがたく。

 

七夕も、会えないからこそ

会えたその時の大切さ。

喜びもひとしおなんだろうなぁと空に想いを

馳せながら。

 

チョコビみたいだねー♪と喜ぶ子どもたち(笑)

 

 

 

人生に流れるバイオリズムの中にあっては、

普段は人といるのが好きな人でも

どうしても

なぜか一人の時間を過ごすことになる、

人が離れたり別れたりすることが重なる、

孤独を感じやすい状況や環境に変わる、

そんな時期が何度かやってきます。

 

世間や周りからも切り離されて

自分だけが暗いスポットライトの中で

しーんと膝をかかえて座っている…みたいな

自分の中ではイメージなのですが、

ひたすら耐え忍んだり

悲しみや苦しみに泣きわめいたり、もがいたり、

不安や焦りで張り詰めたり余裕を失い

知らず知らずのうちに精神追い込まれていたり。

 

 

表に見えないだけで、みんな、あります。

 

 

しんどいけれど、

そんな孤独を過ごしたからこそ感じられる

人の優しさや温もり。

会えること、繋がれること、

心通じたと感じられた時の、嬉しさ。

 

会えないからこそ会いたくなるし、

当たり前じゃないと身にしみたからこそ

もっと大切にしたくなるし思いやりたくなる。

 

 

そう思うと、

会えない良さ、もまた良いのかも知れないね。

 

そんなこと言ってる猶予はない!って時や、

それでもやっぱり、できるなら、

会いたいものは会いたい!

も、あるんだけどね。

 

 

 

七夕、なんか好きです❤🎋

 

 

 

みんなが、あなたが、

奥底で穏やかな安らぎでつながっている

ほんとうに会いたい人に会えますように🌟

 

 

 

つらいのは、あなたの心を癒す準備ができたから。

今、世の中的にも落ち着かない状況で

多くの人が、コロナの関連であったりそうでないことだったりで

不安や悲しみ、つらさや苦しさを感じていたり

胸が詰まるような、息のしづらいような、体調もなんとなくすぐれない、

落ち着かない感覚を抱いていることかと思います。

 

まったくそんなこともなく、元気で楽しくやってます!

という方もいらっしゃるかと思いますが

それはそれで恵まれた喜びのギフトの季節を

味わって受け取っていることと嬉しく思います。

 

ただ、もし、そうでない自分は精進が足りないからだとか

ポジティブになれないことは悪いことだとか

苦しみに意識を向けず、どんな状況でも感謝を見つけなければとか、

今の自分を責める気持ちや否定する気持ちが湧いて

焦ったり落ち込んだり孤独になっている人がいたなら。

 

そんなことはないんだよ、

むしろ、楽しい!元気!喜びいっぱい!の時期や過去の自分では

耐えることができないから浮かび上がることすらなかった

苦しみや悲しみ、不安や恐怖、困難や大きすぎるような責任や…

それらが、

今のあなたなら、乗り越えられるはず

今なら、心の奥底にしまい込んで見えなくしていた痛みを

自分自身で癒してあげられるはず、頼んだよ!と

今のあなたの力を信頼して、

勇気を持ってそのつらい感情や状況と向き合えると確信して、

タイミングを見計らって出てきているということー

 

そんな風に思います。

 

 

私も本当にしんどい必死な最中にはそんなこと思う余裕もないし

思い出したにしても、

(そんな絵空事みたいなこと言いやがって クソだな(失礼))

としか、たぶん思えないけれど。

 

いやなこと、つらいことは、

できるだけない方がいいと願ってしまうけれど。

 

向き合える準備ができた自分、ここまで来られた自分を

いっぱい褒めて、自信をもって、たくさんねぎらい労りながら、

前に進むというよりかは

きっとその日その時で精一杯だと思うから

とにかく、なんとか、生き延びていければと思います。

 

きっと時間もかかるし、

つらい、苦手な、しんどい、でも必要な体験もしなきゃなんだと思うけど、

浮かび上がってきたということは、

きっとあなただけが癒すことができる、

乗り越えることができる

(それは、状況が良くなるという結果だとは限らないけれど)

その時が来たということなのかなと思っています。

 

 

 

あなたの勇気と強さを、尊敬し信じています。

 

 

 

 

もちろん、

無理することなく

泣き言を言いながら、

人にも頼りながら、

休みながら、ね。

 

 

我慢を重ねたその先は

前回も少し触れましたが、

我が家の小3次男は現在、特別支援学級に、

中3長男の方はというと適応指導教室に、

それぞれ通っています。

 

不登校特別支援学級?と

思われる方もいるかも知れませんが、

私も最初はそんな方法があるとは

思いもしませんでしたが、

特別な支援が必要と言えば確かにそうですよね。

 

 

次男は小1で学校へ行けなくなってから、

頭痛や、食欲も減退してやせてくる、

ストレスやプレッシャーがかかると

声が出なくなる(喉に何かがつかえている感覚)、

体に力が入らなくなり動きにくくなる、眠くなる、

(同じ場面で1ヶ月以上続くような場合、

 選択性緘黙・選択性緘動などといわれている)

夜尿はないのに日中の尿意や出ている感覚も

自分でわからないことがある(なので漏れる)、

などの症状が出始めて、

自分でもなぜかわからず体はそうなることで

子ども自身もさらに不安になって…と

負のループができていたような状態だったと思います。

 

当時の担任の先生は、

つらくて学校に行けなくなっている状態について

何度もお伝えするのですがなかなか伝わらずに、

「親が付いて行くなら行くと言っていますが

よろしいでしょうか?」と連絡帳に書いても

返事も電話もなく💦

こうしている間に時間だけが過ぎて行ってしまう!

と、勝手に付いて行ったのが始まりでした。

 

後でわかってきたのは、他の先生方や保護者たち、

小学生の子どもたちから見ていても、

?????がいっぱいの先生だったようで。

確かに入学式の控室からして、「どうしてこの先生が1年生担任!?」とザワついていた…💦

とにかく私たちにしてみれば誰にも理解されず

(とその時には感じていた)

孤独や不安でいっぱいの数ヶ月でした。

 

 

小学校という新しい環境で、

周りは知らない人ばかり、

他の子たちは保育園からずっと一緒で友だち同士、

幼稚園とはかなり違うコミュニケーション、

先生も気にかけてくれたり声をかけてくれた様子もなく、つらくなっている様子に気付いていない。

 

6歳の子どもにしてみたら、相当な不安の中、

頼れる人もなく、それでもなんとか1週間

すごくすごくがんばっていたんだと思います。

(一部親バカ視点ありますがご容赦下さい😁)

 

 

そんな時に、気付いて笑顔で声をかけてくれたり

毎日のように話を聞いてくれていたのが

特別支援学級の先生方でした。

教室へ見に来てくれるとものの数分で

「あー、これは大変だったね」と

座席配置や様々な環境の改善点に気付いてくれて

担任と話し合ってくれました。

(担任は、忙しいからできない、と言い

 結局席替えも特支の先生が即日してくれた😅)

 

付添いしても校舎にも入れなくなっていましたが、

特別支援学級の先生のクラスになりたい!と

本人の希望で移籍し、すっかり元のようにとは

いきませんが少しずつ元気を取り戻しています。

 

 

入学や転校などがきっかけで

選択性緘黙(場面緘黙)が出てくることが多いと

知られていますが、急激な大きな変化と、

それがその人にとってつらく感じられる場合には

相当なストレスが心身にかかっていることでしょう。

 

もともと持っている本人のストレス耐性にもより

我慢できる、がんばれる限界値を超えてしまったら

今度は一気に我慢できる範囲が狭くなる、

というのは、多かれ少なかれ経験のある人も

多いのではないかと思います。

 

そして、パニック障害やうつ(病)、

その他のメンタルの不調や疾患についても

カニズムとしては同じようなことが

言えるのではないかと思うのです。

 

 

この位はがんばれて当たり前。

みんなやってるんだから。

自分がやるしかない。

 

本当は不安だけど、こわいけど、いやだけど、

我慢して我慢して

がんばって良い変化があるなら良いけれど、

そうでなければ長い期間我慢を続けるのは

心にも体にも危険な場合もあるように思います。

 

 

次男は、幼稚園の頃には難なくできていたことも

今はしんどく感じることが多くなっています。

 

私もパニック障害が再発してから、

それまでは全く平気だったような、

すぐには外へ出られないような場面や

レジなどで行列に並んで待つこと、

運転中の右折レーンなど両側から挟まれる場所や

橋の上、雪道の渋滞など、

それに気温が暑いとか寒いとかすらも

体にとってはストレスになるようで変調を来します。

 

 

私も20数年前にありましたが、うつ病でも

お風呂に入ることがすごく大変に感じたり

歯磨きなどそれまで何も考えず無意識なくらいに

できていたことまで一つひとつが重たくて

がんばらないとできないことに変わりますよね。

 

 

我慢に我慢を重ねて、はじけてしまう前に。

 

自分で気付くのはなかなか難しいけれど、

また、周りが許してくれないようにも感じるかも

知れないけれど。

 

 

 

大切な大切な、あなたの心と体を

どうか一番に守ってあげられたらと願っています。

 

 

 

 

 

パニック障害と不登校と。

2月の立春を越えた辺りから。

ここ2年ほどの停滞していたエネルギーが

スッと軽くなり、身体にも心にも前向きな、

力が少しずつだけれど再び湧いてきている感覚が

実感として感じられ始めて。

 

 

何をしても思うようにならない時期も、

自分の力の及ばない事柄が降りかかり

努力や根性ではどうにもならない時も。

 

後退するばかり、何もできてない、と思っても

目に見えない部分で必ず学ぶことや成長があり、

土の下で深く深く根を伸ばしていたりするもの。

苦しい分、悩んだ分、鍛えられているんですね!

 

 

どうしたらいいかわからない時は

じっとしていればいい。

諦めずにただただ自分を生きていれば

時が来たら、動き出したくなる。

 

 

綺麗事だけじゃない、人間こんなになるんだなと

心身追い詰められ苦しい中で必死だった、

次男が小学校入学1週間で不登校になった2年前、

そして私が15年ぶりにパニック障害を再発し

長男が中1終わりから不登校になった1年前

(&病気や別れや死や孤独や…

 諸々しんどかった💦)には

想像もつかなかったことに。

 

この春は長男が修学旅行に楽しかった!と行き、

次男は小3になり引き続き母子登校ながらも

毎日学校へ行って支援学級で元気に過ごし、

そして私は昔やりたかったことがムクムクしてきて

いつの間にやら専門学校生していますよ♪

 

コロナ禍のお陰といったら語弊がありますが

オンラインでのスクーリングが可能になり、

遠方の学校にも無理なく在籍できありがたい限り。

 

 

毎日、小学校へお弁当を持って付添い登校しながら

テストやレポートの締切りに追われながら

体調とも相談しつつ、色々とギリギリながらも

楽しんでいるところです。

 

 

 

やっとタイトルですが😆

 

子どもの不登校(五月雨登校や給食登校、

保健室登校、母子登校など行けてる場合もね。)

と、親、特に母親のパニック障害(又はうつ、

併発も)はとても関連があるのではないかと

思っていて、あるあるというか、

もう、多くの場合でセットのように

私は考えています。

 

パニック障害の好発年齢が、20〜30代前半の

青年期と女性は40代〜50代にも

もう一つの山があるというのも

頷ける気がします。

身体にも変化の大きい時期な上に、

思春期にさしかかる辺りの子どものこと、

介護や仕事、経済的な責任や日々の生活など、

色々対応する必要のあるライフイベントが

重なる時ですから。

 

私も20代の頃に、8年ほどかけて

やっと寛解→断薬にも成功した長く苦しい体験を

思い出すと、

再発は本当にショックなことでした。

 

でも、私たちは人間だから。

病気にもなったり、苦しんだり、泣いたりするのも

あっても当たり前のこと。

完璧な人間はこの世にはいないから

(いたとしたらとっくに天に召されてる、と

よく言っては子どもたちにも笑われてますが)

病気になるってことは生き方が間違ってる、とか

自分が悪いからだ、みたいに言う誰かの言葉に

落ち込む必要はないですからね。

 

そんな風に言う人も、

きっと今は流れの良い時期に当たっているだけ。

正しく立派に生きてるつもりでも、

逆境の時にも出逢えば体調を崩すこともあります。

 

実際に自分がそうなってみて初めて、

弱い立場の人や苦しみの中にある人の気持ちが

身に沁みてわかることになるのでしょうから

そっとしておきましょう。

 

 

自分だけ、うちだけ、どうしてこんな、と

思えても来ることと思いますが、

どうか、決して自分だけではないことを

心の片隅にでもよいから置いておいてもらえたら

希望を見失うことなく、

自分自身を保ちやすくもなるのではないかなと

思います。

 

そして、しんどい時こそ、早めにお手上げ!

自分だけではどうにもならないと認めて

その道の専門の人だとか、先に経験していたり

知識や技術のある人や場所に頼りましょう😌

 

私も、心療内科に、カウンセラーに、

ソーシャルワーカーに、学校の先生方に、

友人や知人、身内にも頼りまくりでした。

 

普段そういうのが苦手だからこそ、というのも

ある気がしますが、本当に辛い時などは

そんなこと言ってる場合じゃないことも

多いですもんね。

 

とにかくまずは自分の心と体を第一に、大切に。

 

そして、子どもたちが元気で、

できることなら笑って過ごせますように。

 

 

 

もう、それだけ。

私の願っていることは、もうそれだけです。

 

 

たくさんのことが叶わなくても。

もう、十分叶っていたんだなって。

そう思えたら、もうその瞬間、幸せです。