今年もよろしくおねがいします。

2020年、ほんとうに色々なことがありました。

ありがとうございました!

 

不安になること、悲しいこと、つらいことも多く、

体調もままならないのと子ども達の不登校対応と、

精一杯でそれでも少しでもできることがあるならと

走り続けることができ、感謝でいっぱいです。

 

そんな時だからこそ感じることができた

優しさや温かさ、安心と安らぎ、

当たり前のようなささやかな一つひとつが

どれだけありがたく幸せなことか。

 

いつでも100%の完璧なことができる訳では

ないけれど、誰もがその時のできる限りで

一生懸命に生きてるってこと。

 

 

さっきまで、久しぶりに、というか

もしかしたら人生で初くらい⁉

紅白歌合戦を最初から最後までじっくり見て

何度もぽろぽろと泣いていました。

 

心のこもった歌をたくさん聴かせてもらって

胸がいっぱいです。

 

 

2021年、ここまで充電させてもらってきたことで

エネルギーも上向き始めてきている希望を感じます。

 

人生の、時代の、バイオリズムや流れがあるから。

弱くなる時も、哀しみの時も、健康を損なう時も、

誰しもあります。

恥ずかしく思う必要はありません。

いつでも強くて元気なあなたばかりでなくても。

 

ずっと、大好きだから。

 

むしろ、人間なら当たり前のこと。

あなたも同じ、普通の人間なんだって

周りもきっと安心して、もっと好きになりますよ♪

 

 

 

今年も1年、あなたが少しでも心安らいで

気持ちよく呼吸ができて

穏やかに笑って過ごせますよう☆

お祈り申し上げます。

2020年 気付けば暮れも近付いてきました

すっかりご無沙汰してしまったブログですが、

この間にも何度も書いていたものの

アップする段になると消えてしまったり

下書き保存されていたはずが消えてしまったり…

なぜだか更新できずにいました。

 

私自身の内面的にも、外側の現実においても

大きな変化の激動の2020年だったことも

あるかもしれませんね。

 

正確には、

突然の乱高下のジェットコースターに

乗っていたかのような

激しい変化と厳しい状況は2019年の1年間、

そして今年はその状態がむしろ

日常になったことと少しずつ慣れてきたことで

落ちてはいるけれど落ち着いている、みたいな、

あれ?しんどいと思っていたけれど意外とここも

悪くないかも!?と気付いちゃったような、

つらい時だからこそ周りの優しさにもたくさん

気付くことができて、むしろラッキー!?という。

そんな時間を過ごしていました。

 

個人的にも、

老いること

病むこと

死ぬということ

と否応なく向き合うことになった時間でしたね。

 

身をもって。

精神の崩壊しそうな境目あたりを20年ぶりに体験し

不安と恐怖で眠れない夜もありました。

新型コロナではないですけどね。

(ステイホームやソーシャルディスタンスは、むしろ不登校の子ども達もいる我が家にとってはホッとできる、安心で元気になれる楽しい時間でもありました。)

 

 

何に不安を感じるかは人それぞれでも、

人も社会もみんな繋がっていて

それぞれに同じように抑圧していた不安や恐怖が

意識できるレベルにまで浮上してきて

それぞれに向き合える所にまで来たということなのかなと思っています。

 

 

まとまりなく長くなってしまいそうなので

細かい部分はまた追って書いて行きたいと思います。

 

 

 

他人が馬鹿にみえる、という孤独。

他人のことが馬鹿だと思える、のようなことを

前回少し触れていましたが。

人を見下した冷酷な人だと批難したい訳ではなく、

それはそれでまた孤独な苦しみなのですよね。

 

 

才能ある人だからこそ、優秀な人だからこそ、

非凡ゆえに周囲からは理解されにくい、

同じ視点や価値観で共有し合える、共感し合える

人とのつながり感が得られにくいという寂しさは

想像以上に強烈な孤独との闘いでしょう。

 

決して自分は特別だ!などと思っているつもりもなく

いたって謙虚で真面目で真っ直ぐで。

温かな心の通い合いを誰よりも求めて

でも自分が普通に思うこと感じることが

がんばってもなかなか人には伝わらない時の無念さ。

 

 

理解し合える人との呼応や共感を渇望し、

やっと出会えた!と喜べるような出会いがあっても

人間、お互い完璧ということはないがために

うまく交流できることばかりでもなければ

共感できない部分、理解できない部分、

気分やら状況やらも色々あって

やはりまた失望することになって。

 

人と心通じ合える、という温かな安心感や

穏やかな柔らかな喜びなしには、

どんなに強い人でも、明るく賢く優しい人でも

心を健やかに保って生き続けていくのは

簡単なことではないでしょう。

 

 

 

まずは、そんな自分を責めずにいたわって。

 

苦しいのも孤独に胸が詰まるのも

無理もないよね

こんなに過酷な状況を、大変な中を

よーくここまでがんばって来たんだもん、

一生懸命生きてきたからこそだよ

よくやってるよ! すごいよ!

 

無理もない、よーくやってる!

 

 

それこそ馬鹿みたいに思うかも知れないけれど

できれば小さくてもいいから声に出して

自分に声、かけて。

 

 

 

もし、もう一歩の余裕がありそうなら

そこからまたなんやかんや方法はあるけれど。

 

 

 

 

まずは、少しでもふわっと心がゆるめたなら。

 

今日もまた、生きられるから。

 

 

 

 

 

 

病気は生き方を間違っているからなのか

先天的に生まれ持った病気であったり

宿命的に!?定められていた病気などの

一部を除いては、

病気になるということは

「生き方を間違っているから」などと

よく言われていたりするようですけれど。

 

先日はセラピスト的立場の方が

「薬飲むより生き方改めろよと思う」と

サイト上で書かれていて唖然としました。

 

 

確かに、生き方や考え方の方向性を

修正した方が良いですよ~~のサインとして

病気という形で現れてくることがある、と

私自身も思っています。

そこはその通りだと思います。

(リズ・ブルボーさんの著書、

『自分を愛して!』などは愛読書です。)

 

ただ、今現在さまざまな病気や怪我などに

辛い思いをしている最中の方や

乗り越えようと努力されている方々の

一生懸命に生きている姿勢や気持ちに対し、

あまりにも配慮や敬意がないと感じられる

言い方がされていたりすることに対して、

悲しく残念な気持ちになるのです。

 

 

 

私自身の今回のことで言えば、

昨年の子どもの不登校や母子登校のことで

(もちろんストレスの要因は一つということはなくて、ほとんどは複数の色々な要因が重なることで表出してくると言われています。)

精神的にも体力的にも負荷が一気にかかり

また長期化してきていたことで

疲労が溜まってきていたと思います。

体調にも少しずつ小さな変化を感じていたし

自覚もありました。

 

そして同時に、

価値観の大きく揺るがされるような体験に

学ぶことや気付くこともたくさんあり、

子どもたちと学校で過ごせることは

自分も子どもに返ったようで楽しくもあり、

また大変だけれどそんな中でこそ

支えてくれる人の温かい気持ちや行動、

ささやかな小さなことがどれほど幸せか、

身に沁みる本当の喜びや嬉しい気持ちも

いっぱいに感じさせてもらった、

貴重な素晴らしい経験でもありました。

 

 

 

自分だけのことなら、

きっと早々ととっくに手放すことを選んで

がんばらないこと、無理はしないことで

自分の心身の健康を守ることを

優先していただろうと思います。

 

でも、

自分の子どもが苦しそうにしていたり

ご飯も食べられなくなっていくのを目の前に

でも友達とは遊びたいと切望する様子に

なんとかできる限りのことをしたいと

思わずにはいられませんでした。

 

大切な人のこととなったら、

きっと多くの人がそうではないかと思います。

 

 

 

子どものケアをできるのは

自分しかいないと思う必要はないし、

犠牲的に生きる必要もないとは思います。

 

けれど人間の心はそんなに単純じゃなくて

やりたいかやりたくないかだけ

好きか好きじゃないかだけ

どっちか一方、0か100かだけなんて簡単に

割り切れないこともたくさんあって。

 

矛盾もあったり、変化もあったり、

49対51くらいでせめぎ合ったり、

色んなことありながら試行錯誤しながら

心の深い所も動きまくって

頭でも真剣に悩んで考えて向き合って

進んだり後戻りしたりしながら

一見ムダに見えるようなこともしながら

目に見えない部分を育む時期もありながら

喜怒哀楽を味わいながら

少しずつ歩んでいく、その道のりを

私たちの魂は楽しみたいというか

望んでいるのではないかなと思うのです。

 

 

だから、

私は自分のしていたことが

間違っていたとは思わないし、

だからって正しいと思っている訳でもなく、

様々な事情の中で一生懸命生きている

皆さんもまたきっとそうだと思うし、

ただ、やれるだけのことはやったから

そろっと休んでもいいんじゃないかなと

そのタイミングを教えてくれたということ、

なのではないかなと思っています。

 

 

 

「間違っている」「改めろ」などと言う人は

きっと今が人生の順調な時なのでしょう。

 

うまくいっているということは

自分の考え方、生き方が正しいということ、

自分は真理を悟っていて上手に生きられる、

周りの人間は気付いていないから

良くない生き方をしているから

病気になったりトラブルが起こるんだ、

などと少々言葉は良くないかも知れませんが

人を小馬鹿になさっている所があるのかなと

勝手な想像ですが推察しています。

 

それは、私にもそういう時があったから。

 

みんな、より良く生きたいと願って

ただひたすらに真面目に人生を追求して

生きてるだけなんだと思うのだけど、

そんな頑張り屋さんにほど時折訪れる、

罠!?神さまのお試し、みたいな。

 

 

 

人の一生も自然と同じ流れや波があるもの。

どんな人にも順境の時もあれば

自分の努力だけではどうにもならないような

苦しい時、理解されないと思える時、

人が離れていったり、体を壊す時だって

状況はそれぞれに違えど必ずあります。

 

2020年、世の中も世界も移り変わりの時期、

ちょうど節目のようなサイクルにある今

ネガティブも浮上してきやすい時です。

 

現在、不調やしんどい最中の方も

多いかも知れません。

すぐに解決とはいかないかもしれないけれど

本当によくがんばっていますよね。

もうね、私に言わせれば勇者です!

すごい!\(^o^)/

よくやっています!

 

 

 

自分がもし苦しい時や辛い気持ちの時には、

どんな言葉をかけられたいでしょう?

 

私は自分があまり打たれ強くないので(笑)

同じことを伝えるにも、

できるだけ温かくなれるような

その人自身の力が内側から湧いてきて

立ち上がれる支えとなれるような、

優しい言葉が嬉しいな~という話でした。

 

 

 

 

 

 

不安・パニック発作と身体の「痛み」

パニック発作で胸痛の症状が出る、と

前回は私の体験を書きましたが、

心臓の辺りが痛いと命にかかわる病気ではと

怖くなったり心配する方も多いですよね。

 

もちろん、心臓系その他の疾患による痛みの

場合など様々な胸痛がありますから

放っておかずに適宜、医療機関を受診したり

検査などで調べていただくことが

まずは必要だと思います。

 

それでもどこにも異常がないということで

原因がわからない、でも胸が痛いという時は

パニック発作の症状の一つ、あるいは

不安神経症などの症状としても

胸痛が現れることがあるということが

私も今回わかりました。

 

 

左胸が締め付けられるような感じや

チクチクした痛み、刺すような痛み、

炎症しているような熱さを感じることも。

 

痛みを感じ始めると、

心臓の辺りが痛い→命にかかわるのでは!?

→不安になる→痛みが増す→このまま悪化し

死んでしまうのでは!?→不安が増す→

恐怖の渦に呑み込まれる…

の悪循環に頭で考える隙もなく一瞬で陥り

パニック発作の症状が一気に押し寄せる、

となってしまっていたようでした。

 

それが。

もう一度パニック障害・発作についての

知識や情報をおさらいし直し、

胸痛もパニック障害や不安神経症

症状の一つであるということを確認してから。

 

胸痛が起きても焦ることが格段に減り、

「これはパニック発作の症状の一つ。

  なってもこれ以上悪くなることはない。

  あとはしばらくすれば引いていくだけ。

  パニック発作で死んだ人は一人もいない。」

と心の中で自分に言い聞かせるだけでも

随分痛みも軽く済む気がし、

何より不安がぶわっと膨らんで

為す術もなく呑み込まれていくということが

無くなりました。

 

不安が出始めてからだと、

いつもの自分のようには冷静な判断や考えが

できない状態になっていると思いますので、

前もって自分に合う、心の中で唱えると

安心できたり落ち着く言葉を見つけておくと

良いかも知れませんね。

 

 

心の不安や緊張→身体も緊張、

そこから筋肉等が収縮しがちになり

痛みを感じるということなのでしょう。

 

肉体的な怪我や病気、出産の時などにも

痛みを怖がったりネガティブに捉えると

より痛みを増して感じると言われますが、

不安からの痛みの場合にも

なるべく自分が安心できる声がけを

自分にしてあげてみてくださいね。

 

 

大丈夫です!

ゆっくりあせらず、自分のペースで。

 

 

 

 

あなたが今日も、ゆったりと気持ち良く

少しでもラクに呼吸ができますよう😊

 

 

 

パニック障害のこと

パニック障害パニック発作のある方に

出会うことが増えてきた?と思っていたら

私自身も十数年ぶりの、再発。

 

今、実際につらい症状に苦しまれている方や

行けなくなった場所や場面を

少しずつ勇気を出して克服中の方、

あるいは

薬をやめる時のあの離脱症状の最中の方も。

大変な中、本当によくここまで

がんばって来られましたよね!

 

このところも、あぁもうダメかも…などと

発作や症状の真っ只中にある時には

弱気に思ってしまうことも何度もありますが

一緒にゆっくり乗り越えて行きましょうね。

 

 

 

私のことを言えば、

21歳、学生で就職活動中の頃

電車に乗っている時に突然の強烈な不安感と

冷汗や息苦しさ、めまいや動悸、

このまま死んでしまうのではという恐怖など

典型的なパニック発作から始まり、

繰り返し起こり頻度が増すうちに

また起きるのではという予期不安も加わり

内科などで受診・検査するも「異常なし」

こんなに苦しくて異常あるのに!?と

原因も理由も何も分からないことに絶望し

数ヵ月後たまたま研究室の先輩に相談したら

それはパニック障害では、と。

 

しかも更に奇跡なことに隣の研究室の教授が

日本のパニック研究の第一人者のお一人で。

すぐにお話させていただき

パニック障害に詳しい病院に

行くことができたのは幸運でした。

 

そこから6年間の服薬と認知行動療法

最後は1年、のたうち回るような断薬を経て

ありがたいことにその後は発作の不安もなく

どこにでも行けて、乗物も何でも乗れて

3人の子も無事出産し過ごしていました。

 

もう20年も前ですから、今ほど世の中的にも

病気のことが知られておらず、

お医者さんでさえ知らない方も多く

一人で抱えて途方に暮れていたのを思い出します。

ちょうどSSRIが認可された直後だったのは

これまた幸運だったと思います。

 

 

十数年経って今回の発作では、

特徴的なのは私も初めての胸痛、ですね。

 

胸が締め付けられるように痛くなることが

不安を伴う発作の少し前から何度もあり

心臓の病気かと心配になりましたが、

不安やストレスからの身体の痛みというのも

不安神経症などでもよくあるようで

胸痛もパニック発作の症状の一つとのこと。

 

知識として知るだけでも大きな安心、

これもパニックの症状だからしばらくすれば

収まる、これより悪くなることはない、と

自分に言い聞かせるだけでも

強い不安に呑み込まれることなく

痛みつつも遣り過ごせるようにはなりました。

 

「痛み」について、もう少し。

ページを改めて書いてみたいと思います。

 

 

 

当たり前ではないこと。そして健康も。

前回の記事は書いたまま投稿完了していなかったようで、12月の日付になってしまいましたが10月頃の話です💦

 

その後次男は、本人の希望もあり

11月より正式に特別支援学級へ転籍し、

母子登校は継続していることと

交流学級での活動(体育や音楽)はまだ

抵抗があったり症状が出るのでしませんが、

支援学級へは夏から引き続き

割りと喜んで元気に通っています。

 

もう、本人が元気で笑って過ごせるなら

過ごす場が学校であってもなくても、

普通学級であってもなくても、

毎日とか朝から一日中でなかったとしても、

一人で行こうが親が付いてかなきゃだろうが

私もあまり気にならないので、

周りからは大変だと思われているようですが

親としては良かったなぁというところです。

 

 

次男のことが少し落ち着いてきたと思った

矢先に、10月中旬に中1長男が帰宅途中に

自転車に乗っていて足を怪我してしまい。

 

しばらく歩けない程の時期もありましたが

結局は膝の前十字靭帯というのが

切れているとのことで。

成長期のため手術が今はできないそうで、

高校生くらいで成長が止まって手術するまで

右足に装具をつけて生活することに。

 

幾つかの病院にかかったり

装具を作ってもらったりと時間もかかり、

しばらく自分で登校ができなかったため

中学校まで朝晩の送り迎えに、

日中は次男に付き添って小学校で過ごし、

幼稚園の三男もお迎えがあり、で

あっちへこっちへとなかなか私もギリギリな

精神的にも体力的にもまた時間的にも

余裕なく過ごしていました。

 

さまざまなことが起きてみて実感するのは、

普段は当たり前のことのように思い

つい忘れてしまっていることも

当たり前じゃなくなってみて初めて

どんなにありがたいことだったか、

素晴らしい、恵まれたことだったのか、

ということ。

 

人間、ものごとが調子よく行っている時ほど

知らず知らずのうちにも傲慢になったり

感謝を忘れて不満だらけになってしまったり

するところがある生き物だから、

そんな自分に気付き成長するためにも

一見困ったように見える出来事や

つらいこと、悲しいこと、苦しいことにも

出逢う時期があるなどと言いますが。

 

 

心もそうだし、身体もまた忘れがちで。

「普通」に歩けること、

見えること、食べられること、

聞こえること、動かせること、

内臓だとかさまざまな器官の一つひとつが

これだけ精密に働いてくれていること。

 

年を重ねるうちにあちこち痛む箇所や

弱った部分が現れてきていたりもしますが

そうは言ってもこれだけの健康なところが

まだまだあって出来ることも沢山あること。

 

心に留めて、ありがたく大切にケアしながら

いきたいと改めて思います。