不登校、母子登校のこと

私と小1次男くん。

春は入学1週間後から

普通学級への母子登校を1ヶ月、

その後1ヶ月程は完全不登校

弟と3人で公園遊びの日々、

適応指導教室に週2~3位で通う1ヶ月、

7月からは特別支援学級へ母子登校、

夏休みを挟んで2学期も同様に現在進行中の

我が家です。

 

幼稚園の頃は、

幼稚園大好き!

毎日楽しい!

友達と遊びたいからもっと預り保育したい!

人見知りな所があり慎重派の長男とも異なり

好奇心旺盛、元気いっぱいで冒険大好き、

ユーモアたっぷり家族の中ではお笑い担当、

友達とも親しく遊べていて

ステージでU.S.A.踊ったりする子だったから

こちらは何の心配もないと勝手に思っていて。

 

長男もちょうど中学入学、

もしも環境に馴染めず行けないとかなっても

それはそれで受け容れよう、なんて

心づもりしていたのだけれど。

頼もしいことに毎日元気に通っています。

 

 

小学校に母が毎日一緒に通っていると、

「なんでお母さん来てるのー?」

「いつまで来るのー?」

「ねー、なんでいつもいんの?」

「なんで~~さん、学校来ないの?」

(いや今は学校には来てるんだけどね(笑) 

   確かにあんまり会わないもんね。)

なんで、なんで、なんで、

ずるいとか、変だとかも含め

毎日毎日、何人も次々と、何回も何回も、

子どもたちからまぁ色々言われますよね(^^;

 

私も初めのうちは余裕もなかったから

一つひとつ丁寧に説明しては

疲れてヘトヘトになっていましたが

最近では

「そうだよねー、ホントなんでだろ(笑)」

「私はボランティアさんなのよ~」

と適当なこと言って終わり、

でも良いことがだんだんわかってきて

随分ラクになりました(^w^)

 

そしてもうひとつ、わかったことは、

学校に来てるからといって他の子どもたちも

本当は来たくないと思っていたり

「遊ぶ人いないんだ」とボソッと話してくれたり

理由をつけては保健室によく行っていたり

元気そうでもお友達とトラブルが多かったり

寂しいのかな、とにかく自分が自分が!と

必要以上に大きな声でまくしたてるように

話を聞いてもらいたがったり

スキンシップを異様に求めてきたり…

まぁそれぞれに色々あるんだなと。

 

自分の子どもの付添いのはずが

色んな子どもたちのお相手にと

お陰さまで忙しくさせてもらっています(^ω^)

 

学校に行けないから

一人で行けないから

‘みんな’と同じでないから

一概に困ったこと、良くないこと―

では全くないんだな、ということ。

 

頭では最初からそう思っていたつもりでも、

自分がいざそこに直面してみると

気付くとなぜか涙が出てきてしまう時や

自分の行動もかなり制限されたり

本来いるべきでない環境で毎日を過ごす

精神的、体力的な疲れだったり

学校に行く歳の子どもが家庭で過ごすことで

生じる経済的負担だったり。

いきなりの混乱の渦に呑み込まれ

実際に受け容れるには時間がかかることも

身に沁みてわかり。

 

親切や共感のつもりでも、

学校に行かなくてもいいんだよ、とか

体験したわけでもないのに簡単に言われると

余計に苦しませることがあるということも。

 

もちろん、今までは見えていなかった

学校の先生方が忙しい中でどれだけのことを

して下さっていたのかということや、

来られない子がいることで他の子たちが

代わりにしてくれていること、

協力したり気遣ってくれていることなど

ありがたいことにも沢山、

気付かせてもらった半年だったと思います。

 

 

きっと今も子どもの不登校や母子登校で

がんばっていたり悩んでいたりする親御さんがたくさんいることと思います。

私も周りを見てもこんなの自分だけ…の時は

知らず知らずに抱え込んで辛かったですが、

人に話せるようになったり

同じような状況の人や経験をしてきた人も

もっと大変だった人も沢山いるんだ、と

知ってからは、同じことをしていても

気持ちは前よりずっと楽になっているので、

(そしてまた状況や経過や必要な対応も

本当にそれぞれに違うと思うので)

こんな人もいるよーとどなたか一人にでも

届いたらいいなと思い書いてみました✨

 

他にも育児や介護、さまざまなお仕事などで

ひとのケアをしたり接客したりする側の

気遣いさん、優しい頑張り屋さんほど、

ご自分のケアも思うより多めに!早めに。

たっぷりと自分を満たしたり甘えさせたり

自分に優しい嬉しい言葉をたくさん、

かけてあげてあげたりしてくださいね❤

 

 

そのザワザワは誰のもの

なんだか心がザワザワする

身体中の神経もビリビリしているような

不安なような  緊張のような

いやな感じ。

 

早く抜け出したい、なんとか落ち着きたい、

そう焦ればあせるほど

ザワザワが強まって

フワーっと飲み込まれてしまいそうで。

このままだとどうにかなってしまいそう!と

さらにドキドキ、息も苦しい。

なんなら吐き気までする。

 

周りのみんなは平気なのに

どうして自分だけこんななのか

自分が弱いのか、ダメなのか…

 

 

…って。

意外に多くの人が思ったことあるから、

人生のどこかで経験することになるから、

あなただけじゃないから、

私もそうだから。

大丈夫だよ。

 

こんなにつらいのに

なかなか他人には理解してもらえない、

言葉で説明してもわかってもらえない、

何かの病気なのかもしれないと

病院へ行って検査してみても異常なし。

 

大げさに騒ぎすぎ、気の持ちようだなんて

安心させようとしてくれてるのかもだけど

ますます傷つく。。。

 

 

そんな時は。

 

 

このザワザワは誰のもの?

自分の心に向けて聞いてみて。

 

誰が頭にうかぶ?

心当たりなければ、誰が今周りにいる?

その人は何を怖がっている?

 

強そうにしている人ほど、

一見堂々と振る舞っているように見えたり

怒っていたり偉そうにしていたり

怖そうに見える人ほど、

実は怖がっていたりするんだよ。

 

あなたはそんな誰かのザワザワを

知らず知らずのうちに

キャッチしていただけかも知れない。

 

もしかして、

自分が怖いと思っていたあの人かな?

苦手で近付きたくなかったり、

あるいは本当は近付きたいんだけど

敵わなそうでひるんでしまうあの人?

 

あるいは今たまたま同じ電車に乗り合わせた

たくさんの疲れを感じている人々だったり、

渋滞でイライラしているドライバーたち、

レストランで早く食べたい空腹の人たち。

 

えっ!?

そんなこと?

 

と思うかも知れないけれど。

問いかけて、

自分の不安じゃないかも!と感じられた瞬間

不思議とスーッと

ザワザワが引いたりするから。

 

みんな、つながっているから。

 

 

みんな、怖いんだね。

大丈夫、私も怖いんだよ。

 

 

怖くてもいいから。不安でもいいから。

そんな自分を責めなくてもOK。

安心してここにいようね。

 

 

 

 

 

あなたが生きててくれるだけで。

今年は色々出てくる年になるだろうと

覚悟はしていたつもりなのだけれど。

想像以上の日々に戸惑いつつ、

ゆっくり受け入れつつ、歩んでいます。

 

中学&小学校入学式を無事に越えたら

少し落ち着けるかな、と思っていた春。

まさかのこっちか!次男の不登校

そして母子登校→適応指導教室通い

&放課後登校→特別支援学級へ母子登校…

 

不登校のテーマも自分ごととして

そのうちやってくるような気が

うっすら心のどこかにはありましたが、

まさかタイプ的に一番なさそう(と勝手に

イメージしていた)次男とは💦

 

大変だろうなぁとなんとなく想像するだけで

当事者が、その親が、

何がつらいかどう大変か、

実際に体験するまで全くわかっていなかったことを痛いほど思い知りました。

現在も先の見えない状態継続中、です。

 

ただ、その中にあるからこそ出逢えた

たくさんの人の優しさや支えがあること、

大事なことに気付かせてもらったこと、

「普通」にいってたらできないような

貴重な経験をさせてもらっていること等々。

ありがたいことも本当にたくさん、

素晴らしい時間を頂いているなぁと思います。

 

そしてさらには、もう20年も前のこと、と

すっかり完治したつもりで気を抜いていた

パニック発作の再発。

 

私の場合は今は車の運転中、

特に右にも左にも車のいる状況での赤信号や

いざという時にすぐ停められる場所のない時

起こりやすいようです。

それから身動きしにくい厳かな式典中や

演奏会などで座っている時なども。

大好きだったジムのスタジオレッスンも

扉が閉まり途中退室できないからか

度々の発作で怖くなり行かなくなりました。

 

パニック障害と初めに診断された頃よりは

カニズムや対症法も色々知っている分、

落ち着いてやり過ごせてはいるのですが。

 

まずはなるべく休養や睡眠をよくとり、

できない時はできない、それもまたよし、で

焦らず一つひとつ、

やっぱり大丈夫だった!を積み重ねて

ゆっくり乗り越えていきたいと思っています。

 

 

 

とにかく、

何ができてもできなくても

何をしてもしなくても

生きててくれるだけでそれでいい。

できるなら元気で笑っててくれたら

もっと嬉しいけれど、

もしそうできなかったとしても。

 

心からそう思える今があることに。

 

ありがとうございます。

 

 

 

 

がんばれと言ってくれる人はたくさんいるけれど

「がんばれ」とか「もっと上を目指せる」と

伸びること、進むこと、成果を出すことを

教えてくれたり励まそうとしてくれる人は

たくさんいるかも知れないけれど、

自分だってそうしたいとは頭では思ってる、

だけどどうしても、心が、体が、出来ない。

そんな苦しい時だって

あるいはそこに価値を見出だせない時だって

生きていたら必ず誰しもあると思うから。

私はあえて、

休んでも良いんだよ、

やめても良いし、立派でなくても良いんだよ

特別な人、すごい人にならなくても良いし、

あなたの心が安らいでいて

ラクに気持ちよく呼吸できていることが

まずは1番、大切だと思うよ、ということを

ずっとずっと伝えたいんだと思います。

 

 

苦しいけれどそれを乗り越えることを

どこか楽しんでいるような、

つらいけれどやってみせる、と前向きな、

自分で本当にしたい!と思うことなら

がんばることも喜びで、

もちろん私も応援したいし

遠慮なくどんどんやって欲しいと思うし

自分でもそういう時は

なんだかんだ悩みながら弱音言いながらも

がんばりたいし、やり遂げたい。

 

乗り越えた時の喜びや、

乗り越えられなかったけれどベストを尽くしたと感じる時の気持ち、成長できた嬉しさ。

 

だけど、色んな種類の

つらく感じることに出合ってゆくほどに、

自分が望んでしていたつもりでいたけど

目の前のことだけなら確かに欲しいけれど

本当に健康を害してまで必要なのか?

大切な時間を他のことに使えなくて良いのか

周りの大切な人たちに悲しい思いをさせてまでもしなければならないことなのか?

湧きあがる気持ちが本音と思っていたけれど

そんなことが本当にやりたいことなのか。

 

ふと冷静になれたなら疑問に思うような

気付かぬうちにどこか方向性のズレてきた

よーく目をこらして耳をすまさないと

そのまま通り過ごしてしまいそうな

ほんとうに微妙な違いなのだけれど。

 

そういう方のがんばりもあるのではないかなと思うようになってきたのだと思います。

 

 

その境目が、きっとみんな同じでないから

この人にとってはした方が良いことも

あの人にとってはためにならないことで

素晴らしいと人が言うことを

自分もしなければと思うと苦しくなったり。

 

 

自分にとっての幸せ、などとよく聞くのも

きっとそういうことで。

幸せを追い求めると不幸になる、というのも

目の前に見せてくれていて憧れるような多くが

他の誰かの基準で誰かが創ってきたもの、

自分がそこにはまろうとしても

同じことをしても同じこと感じる訳では

ないということなんだろうな、って。

 

 

甘えてもいいんだ、逃げてもいいんだ、

弱くてもいい、ダメでもいい、

そう思ってもいいんだって思えると

不思議と力が湧いてきたり

体が動けるようになってくること、

もちろんすぐにという訳にはいかない時でも

ゆっくり時間をかけて立ち直れること、

私は自分でも周りの様子でも何度も体験して

たくさん見てきたから。

 

まずは安心してほしい。

十分甘えて、たっぷり充電してほしい。

 

 

そうしたら自然と、自分から動きたくなる。

やりたいこと、見えてくるから。

 

 

 

順調で元気でそんなの必要ないよーって人は

どうぞそのまま、その調子で(*^^*)♪

 

 

ガングリオンが治った話。

手首などの関節に突然ポコッと飛び出て驚く

ガングリオン

良性の腫瘍で、整形外科へ行けば

中身を注射で吸いとることもできるのですが

同じ所に再発もしやすいらしく。

 

痛かったり膨らんだ見た目が支障なければ

自然に治るのを待っても問題ないというので

様子を見ていました。

 

私の場合は、育児中なこともあってか

ちょうど右手首が腱鞘炎のようになり、

そこへ親指付け根辺りの手首部分に

丸く膨らんだガングリオンを発見したので、

なるべく重いものを持つのを控えたり

手を休ませることで関節の痛みも和らぎ、

膨らみも小さくなる(しかし安心してまた

酷使していると大きくなる!)様子を

確認していました。

 

なるべく使わないようにしていれば

だいぶましな大きさまでは回復したものの、

小さなポコッとがなかなか完全には

なくなる様子がなく2ヶ月。。。

 

 

そんな時。

 

漢方の考えでは、

ガングリオンは関節に水が溜まっている状態

→体は【痰湿】の状態

    →水の摂りすぎ

 

ということを聞いて。

早速やってみました。

 

 

・水分を摂る量を控えめにする

    飲むとしたら温かい雑穀茶。

・ビールをやめる(!)

    飲酒も控える

・冷たい飲み物を飲まない

・甘いもの、濃い味付けを控える

・根菜類、海藻、牛肉・鶏肉などをよく摂る

・暴飲暴食に気を付ける

 

 

結果。

 

【1日後】

今までよりも一段小さくなったと感じる。

ほとんど膨らんでいるとわからない程度。

1日でこんなに良くなった!と驚く。

 

【3日後】

ガングリオンがほぼなくなる。

手首を反らしてよく見ると、うっすらと

左手よりは出ているかな?程度。

手首を反らさず真っ直ぐに伸ばしていれば

全く出っ張りなど異常なし。

 

 

 

その後数日経ちますが経過は良好なまま、

正直ここまですぐに変化があるとは

思っておらず、嬉しい限りです(^^)

 

 

体のためには水分はたくさん摂った方が

良いもの、という先入観と思い込み。

温かいお茶もよく淹れますが

落ち着いて温かいうちに飲めることなど

ほとんどなく気付いた頃には冷めているし、

ビールも好きだし、

氷を入れた冷たい飲み物もほぼ毎日。

そんな生活をしていました。

 

お水にしても。

何事も、いくら良いものでもどこまでも

多ければ多いほど良いということは

まずないのかも知れませんね。

 

その時々の自分の体調や状態、

体質などに合わせて、

体に必要なことを必要な分だけ

してあげたいものです。

 

 

体の異変や、何かの病気かな?と思った時に

すぐにスピリチュアルな意味を探りがちで

(状態や病気を検索してみようとすると、「○○ 、△△、スピリチュアル」とすぐにワードの候補が出てくるので、調べる人も多いのだと思います)

実際の身体の状態を探ってみることを

意外と忘れてしまうこともあるのですが。

 

思い込みを取りはずして、

行き過ぎや足りな過ぎることはないか、

何年も前とずっと同じ習慣では

今の自分の体には合わなくなってきている

ことはないかどうか、

時々振り返って意識を向けてみる大切さを

今回は教えてもらったように思います。

 

 

 

今日も、ほどよく元気にほどよく楽しく(*^^*)ご自分に合ったやり方で☆あなたにとって少しでも快適に過ごされますよう。

卒業と始まりの季節に

我が家ではこの春、

長男と次男のそれぞれ3月の卒業&卒園、

謝恩会も2つに懇親会に祝う会に、

そして来週の入学式が同日に2つと続き

もうこの1ヶ月程はあらゆる感情や感動や

肉体的・物理的な忙しさやら

エネルギーの渦にクラクラ、ぐらぐら、

身体も心もなかなか激しいことになっている

この頃です。

 

昨年度の1年が、今までになく急に

慣れない人前に立つ場面が増えたり、

自分がリードしていく立場に立ったり

あちらでもこちらでも目まぐるしくて、

そういうのも何でもなくできる人も

いるかも知れないけれど私にとっては

それはもうプレッシャーの連続で。

 

でも、自分でも頑張りたくもあって。

 

たくさんの人たちの支えや協力も頂いて

なんとか最後までやり遂げられたことで、

そしてそれが12年の節目とも重なり

一層のやりきった感、一区切りでもあり

気持ちがホッと緩んだのもあるのでしょう。

 

…あちこちが痛みます💦

 

 

流れるように日々すべきことに精一杯のうちは気を張っていて気付かないけれど、

自分で自覚している以上に無理をしていたり

心身ともに酷使していたりすることも

ありますね。

 

私もつい、肩の力を抜いてとか

もう少しラクな気持ちですればよいとは

頭では分かっていても出来ない方で、

全力でばーっと走っては

バッタリと倒れ込むようなことが

これまでにもよくあるのですが。

 

こういう時は、焦る気持ちを優しくなだめて

弱っている自分もそのまま認めて、

良い意味であきらめて。

無理せず休養したいと思います。

 

 

急にぽっかりとスペースが空いたようでも、

あわてて何かで埋めようとする必要もなく。

 

ゆっくりしっかり充電できたら

また自然と気付けば新しい風が吹き込んで

動けるとき、動きたくなるときが来るから。

 

 

外は今日はこちらでは雪が舞っていましたが

ぽかぽか陽気の春も、きっともうすぐです。

 

 

 

何もかも投げ出したいと思う時には

がんばって がんばって

やりたいことばかりでもないけれど

みんなの役にも立ちたいし

幸せになってほしいから

自分のためにも乗り越えたいし

やり遂げたいから

我慢もして 努力もして

もちろん、自分がしたいからでもあって

全く犠牲になったとかでもないのだけれど

 

時折やってくる虚無感や、怒りや悲しみ、

もう何もかも投げ出して

ただただ守られて 満たされて

赤ちゃんの頃ように安心して眠りたい気持ち

いつもいつも人のことばかり

お世話したり 受け止めたり 与えて 気遣って

本当は自分だってたまには

して欲しいのに

甘えたいのに

ぶつけたいのに

 

そんなことしたら壊してしまうから

みっともないところ見せる訳にいかないから

大人げないこと 恥ずかしいことだと

意識的にも無意識にも 教えられてきたから

社会の中で様々に関わり合って生きてるから

 

怒りをあからさまに出す訳にもいかない

感情的にぶちまけたり

日々のすべきことや役割をいっぺんに

放り出してしまう訳にもいかない

 

だからといって内側に湧いてきているものを

押し殺して なかったものにしようとしても

今度は喜びや楽しみまでも

いつの間にか感じなくしてしまう

 

 

無条件の愛であったり完璧なものを目指す程

自分がそうありたいと理想を追い過ぎれば

純粋な優しさや情熱から出発したはずが

自分がそれを周りから得られないことに

腹が立ち、失望し、

苦しむことになるのかも知れない。

 

 

できる範囲で感情も出してあげてたり

できる範囲で自分を満たしてあげてたり

人にも頼ってみたり 伝えてみたり

どうするともっと良いかと工夫もしてみても

 

そんな時もまた、きっと誰しも必ずあって。

 

 

 

もし、一人になれる時間や空間があるなら

思いっきり子ども返りをしてみて。

 

お菓子売場で買って買ってと泣きながら

床にひっくり反ってる駄々っ子みたいに

手足バタつかせて

「ヤダヤダ!」って声に出して

 

そうすると

自分でもびっくりするような動きしたり

言いたい言葉が続けて出てきたり

お腹の中に何かいるのかと思うような

自分と思えないような声が出てきたり

涙が出たり 咽づいたり

咳やら何やら色々出てきたり

出て来なかったり

まぁ色々あったりなかったり

 

とにかく必要なことがきっと起こるから。