あんまりキラキラ、がんばり過ぎないでね☆

「意識が高い」のもとってもステキなこと。

 

私も、それまであまり気にしていなかった

「自分らしく生きること」とか

「自分を大切にすること」とか

それに、体のケアだったりファッションだったり

メイクやネイルや身につけるものや身の回りのもの、

食べるものだったり過ごす場所だったり

働き方やライフワーク、

学ぶこと、一緒に過ごす人、話すこと、見聞きすること‥。

「意識を高める」ようになってからとてもワクワクして

自分が楽しく嬉しく心地良く満足している状態が

前よりずっとキラキラしてるって思えて

そんな自分をどんどん好きになってく気がして。

 

だけど、知らず知らずにいつの間にか

どこか無理する自分もいたことに

ずいぶん経ってからやっと気付いたのでした。

 

本当に楽しくて自分の心が喜んでるうちはいいの。

けれど、もしそれが行き過ぎていって

「素敵な自分でなければならない」

「キラキラしてない自分はキライ」

「人より優れていなくてはならない」

そんなふうになってくると

今度は周りにも「自分と同じように」素敵であること、

キラキラしてる、かっこいい、デキてる、

「意識の高い」人やものだけを求めるようになってゆき

自分の望む通りでない人やものにイライラしたり蔑んだり

他人がみんな劣って見えて

自分だけが有能で真理を悟っているかのような

そしてそのうち自分にも

「意識の高い人たち」から素敵に見えているだろうか?

ダサくないか?ちっぽけなんじゃないか?

劣って見えるのでは、まだ足りないのでは‥。

際限のない欲望や不安のループに乗って

自分が苦しく、しんどくなって来てると感じるなら。

 

もう、そこから降りても いいのかもしれないね。

 

私の場合は、そうでした。

(‥それほどたいしたことは何もしてないのですけどね。)

 

でも、「やりたいことする」「自分らしく生きる」

そう思ってそのつもりでしてることが

本当にほんとうの やりたいことなのか

自分らしいことなのか

方向は合ってたとしても、どこまでやるのか

自分ひとりだけじゃなくて

周りの人も含めた自分 のしあわせを考えたときに

ほんとうにそれが自分の一番幸せな形だ、と

言えるのかどうか。

 

例えば私は、もともとそんなに

ファッションやおしゃれや「美」とかいうことには

それほど興味が強かったわけでもないことに気付いて

まぁ清潔感のある気持ち良いラクな格好で

TPOと大きくズレてなければ良い、程度に戻ったら

気持ちも経済的にもだーいぶ楽になってびっくり

 

そんなに服などは買わなくてもあるし

そんなに体のケアに時間もお金も使わなくても

家でヨガや軽い運動をしていれば

以前にも増して元気だし年々ナイスバディになっていくし(!)

食事もおいしいものは大好きだけれど

そんなに食材にこだわったり外でおしゃれなランチとか

しょっちゅうしなかったところで十分満足しているし、

「意識の高い場所」に行かなかったところで

むしろ張りつめることが少なくなって精神的にも安定して

のびのび日々をリラックスして穏やかに過ごせているし。

 

あ、でもお金をあまりかけない楽しみ方をしよう、と

決めてからもそれでもどうしても買ってしまうもの、

それが「本」でした。

なるべく、図書館で借りるようには心がけているんですけど

店頭で出会ってしまったりすると買ってしまうのですね。

どうしてもやめようと思っても

それでも自分にとって大切で我慢できないもの、が

どれなのかに気付かせてもらえるということでもあるのかも知れませんね。

 

「女子力」なんていう言葉もよくみかけましたが。

「意識が高ければ高いほどよい」のかといえば

そういうものでもないのではないかなぁと。

 

自分にとっての「程よい」ところを。

それぞれに楽しめたらいいなと思うこの頃です。