乗り越えない、という英断。

私も以前は、

これを乗り越えたら強くなれる、成長できる、と

自分を鼓舞して挑戦すること、前に進むことが

「良いこと」と思っていたし

できるだけそうしてきたように思います。

 

けれど、乗り越えられない、

立ち向かうことさえできない状況にも何度も合い

そんな自分を情けなく思ったり恥ずかしく思ったり

責めたり嫌いになったり

終いには心だけでなく身体まで調子を崩したり

自分を見失い、あがいてもがいてのたうち回って…

場面や程度は違えどそんなことを繰り返し

今思うのは。

 

それも確かに素晴らしいこと。

でも、歳を重ねて色々と経験してみて

チャレンジしたり傷ついたり時々は乗り越えたり

どうしてもできないこともあると限界を感じたり

そうして自分の大きさをある程度知り始めたら

今度は、

諦めること

手放すこと

無理にチャレンジしない

もっともっとと成長しようとしない

 

反対のようだけれど、

そうすると

自分の頭で望んでいたものとは違うかも知れない

でも

目に見える形はちがっても

結局気がついてみれば心の底が望んでいたこと

感じたかった気持ちを感じられていることが

思わぬ形になって叶っていたことが

わかったりするんだな、って。

 

もちろん、がんばりたい時はがんばるのもいい。

無理なく心がががんばりたい、と言ってる時は。

チャレンジがつらいけど嬉しい時もある。

 

でももし、怖いけどつらいけどやりたくないけど

でもやるしかない気がする…

追い詰められるかのように 余裕なくして

他に選択肢のないように 思い詰めているとしたら

 

勇気をもって

やめてみる。

追い求めない。

潔くあきらめる。

できない自分も受け容れる。

 

そっちが新たな、最善の選択肢かも知れません。

 

最初は負けたようで悔しいかもしれない。

でも、あの時のあの決断が

勇気をもって引き下がったことが

我ながら英断だったなと

後になって思う時が不思議ときっとやってきます。

 

臆病者の意気地なしなんかじゃなかった。

心の底がちゃんと自分に本当に必要なものかどうか

知ってて教えてくれてたのかもしれないな、って。

 

勇敢果敢に危険もかえりみず突き進む、とか

かっこいいのになと思うも知れないけれど、

自分の心の安心や、身体の健康や、

あって当たり前のように思っている身近なものを

自分自身を、周りの大切な人を、

誰になんと言われようとも

静かに大切にできる人もまたかっこいいなと思いますよ。