他人が馬鹿にみえる、という孤独。

他人のことが馬鹿だと思える、のようなことを

前回少し触れていましたが。

人を見下した冷酷な人だと批難したい訳ではなく、

それはそれでまた孤独な苦しみなのですよね。

 

 

才能ある人だからこそ、優秀な人だからこそ、

非凡ゆえに周囲からは理解されにくい、

同じ視点や価値観で共有し合える、共感し合える

人とのつながり感が得られにくいという寂しさは

想像以上に強烈な孤独との闘いでしょう。

 

決して自分は特別だ!などと思っているつもりもなく

いたって謙虚で真面目で真っ直ぐで。

温かな心の通い合いを誰よりも求めて

でも自分が普通に思うこと感じることが

がんばってもなかなか人には伝わらない時の無念さ。

 

 

理解し合える人との呼応や共感を渇望し、

やっと出会えた!と喜べるような出会いがあっても

人間、お互い完璧ということはないがために

うまく交流できることばかりでもなければ

共感できない部分、理解できない部分、

気分やら状況やらも色々あって

やはりまた失望することになって。

 

人と心通じ合える、という温かな安心感や

穏やかな柔らかな喜びなしには、

どんなに強い人でも、明るく賢く優しい人でも

心を健やかに保って生き続けていくのは

簡単なことではないでしょう。

 

 

 

まずは、そんな自分を責めずにいたわって。

 

苦しいのも孤独に胸が詰まるのも

無理もないよね

こんなに過酷な状況を、大変な中を

よーくここまでがんばって来たんだもん、

一生懸命生きてきたからこそだよ

よくやってるよ! すごいよ!

 

無理もない、よーくやってる!

 

 

それこそ馬鹿みたいに思うかも知れないけれど

できれば小さくてもいいから声に出して

自分に声、かけて。

 

 

 

もし、もう一歩の余裕がありそうなら

そこからまたなんやかんや方法はあるけれど。

 

 

 

 

まずは、少しでもふわっと心がゆるめたなら。

 

今日もまた、生きられるから。