生き方としてのヒーラー・セラピストという人生

ヒーリングセッションについては現在お休みさせていただいているのですが、セッションを一旦やめてみることにしたのには理由があります。

 

それまでも言葉では何度も聞いていた言葉で、当初はその通りだなぁと漠然と思っていた程度のように思いますが、

「セッションでヒーリングの施術を行うことだけがヒーリングではない」ということ。

それをはっきりと日常の現実の中で、実感として認識するようになってきてからというもの、サロンや特定のスペースで料金をいただいてヒーリングセッションをさせていただくということに、少なくとも自分が仕事としてそれをさせていただくということに、必要を感じなくなっている自分自身の気持ちに気付いたからです。

 

私がヒーラー、セラピストとして生きると決めたのは、10年ほど前に自分自身の内面を癒すことがこれから先の人生を歩むためにまず必要であると強く感じ、一つひとつ、時にもがいてあがいて苦しさや痛みも味わいながら前に進み、人生がどんどんラクに、安心感に満ちたものへと自分の中で変化していったこと、そして多くの人も同じようにそれぞれの持っている自分自身を癒す力で本来の自分らしく生きられるはず、そのお手伝いがしたい、と思ったからでした。

 

そして、ヒーリングやセラピーをライフワークとして、サロンを始め、セッションを始めてみて。

職業として、仕事として、ヒーラー・セラピストであろうとしている自分以上に、「セラピスト」「クライアント」という枠のない、なにげない日常の中でこそ、私は自分のヒーラー・セラピストとしての資質を発揮できている、というか今の自分にはむしろそうしかできないと感じました。

 

ただただ、自分が自分らしく楽しんでいる時。

夢中になって時を過ごしている時。

人の役に立ちたいとか、貢献したいとか、ラクになっもらいたいとか、そんなことも考えていない時。

時間を気にすることもなくリラックスして心にゆとりがある時。

 

それこそが私が自分らしく生きてるなと思える瞬間で。

気付いたら目の前の人に、私がいることで場が明るくなる、元気になれる、安心できる、幸せ、楽しい、嬉しいなどと言ってもらえたり、感じてもらえてるなと思えることがあったり。

それはまさに、私が望んでいた、目指していた、したかったこと。

 

セッションで出会ってくださる方々ももちろん大切なお一人おひとりなのだけれど、私が幸せにしたいと心から感じているのは、きっと遠くの誰かとか大勢のみんなとかいうスケールの大きな話ではなく、もっと身近な半径何mレベルで時間を空間を共にしている大切な人たち、具体的には自分と家族や友人たち、究極的には自分の息子たち3人が幸せを感じてくれさえしたら私の人生で成すべきこと、思い残すことは他にはないとさえ思うようになりました。

逆のようだけれど、それが結局はより広く大きく幸せの波紋を広げていくことになる気がするのです。

 

何もない自分になりそうで少し怖くもあったけれど。

何の仕事をしているかにこだわらない、生き方としてのヒーラー・セラピストという人生を私は選びたいと思います。