普通じゃない「普通」

「普通」って。

 

普通、こういう時こうするでしょ。

普通、そういうことしないよね!?

なんでこうしてくれないの。

 

この位の暮らしが、普通。

ぜんぜん贅沢なんかしてない。

みんなこの位持っている、しているのが普通。

もっと、もっと欲しい!

 

 

「普通」と感じている基準がいかに高かったか、

当たり前と思っていたことが当たり前じゃなく

どんなにありがたいことだったか。

気付かせてくれる出来ごとが時折起こります。

 

そしてそれでも気付かず

日々同じようなイライラや不満や焦りを

繰り返してしまっていることも多々…。

 

普通に三食ご飯が食べられて

住む家があって、温かい布団で眠れて

普通に話ができる相手がいてくれて

学校に行けて、仕事に行けて

お風呂にも入れて

着る服もあって

動ける体があって

目が見え 音を聞くことができて。

 

「普通」の暮らしが

日々当たり前のように続いてることが

どんなに凄いことなのか、難しいことなのか

ありがたく恵まれていることなのか。

 

 

そう感じられない時にいくら言葉で聞いても

「ふーん」…

素通りしてしまうのもまた自分の感覚としても

よくわかります。

 

 

でも、小さなお知らせに気付けずに過ごしてゆくと

私たちに気付いてほしいかのように

お知らせは少しずつ大きな声になっていき。

 

すれ違いや喧嘩、いやな出来ごと、

衝撃的なニュース、胸の痛む体験、

事故や病気・怪我、騙されたり、失ったり。

 

それもまた必要あってのことといえば

そうなのでしょうけれど

なるべく大きなことも起きていない日頃から、

必要以上に我慢し過ぎることもないけれど

謙虚な気持ちは忘れずにいたいなと思うのです。

 

 

人間、生きていれば避けられない

悲しいことや辛いことだってあるし、

自分で設定して生まれてきた試練などとも言われるように

良くないことがあったら全てが

自分の行いが悪かったからだなどとも

思う必要もなく、

欲だって程よければ創造的なエネルギーにもなり

全くなければいいという訳ではないけれど。

 

 

 自分に与えられている なんでもない

「普通」のことのように感じるものを

切望している人たちがたくさんいることを

忘れてはならないと改めて気付かせていただいた日でした。