「失う」ということ

前回、何気なく使った「失う」という言葉、

なんだか気にかかりしばらく想いを馳せていました。

 

年末に愛犬の介護、そして天へ還るという

私にとってとても濃い時間、

大きな出来事があったのだけれど。

その時に感じたことがあって。

 

あんなに元気でいつも若々しかったのに

日に日に弱っていく彼を見るのは

何もできず辛くて苦しくかったけれど、

同時に彼のために何ができるかと奔走するのは

自然と力が湧いてきて 不思議と幸せでもあって。

 

亡くなったと聞いた時にはたくさん泣いたけれど

悲しいというよりも、ひたすら感謝の気持ちで

今まで本当にありがとうと、ただそれだけで。

その瞬間から彼が今までよりずっと

心の中に鮮明に、確かに側に元気な姿でいるのを

はっきりと感じるようになって。

 

本当に大切なものは、

失うということはないんだなと思ったのです。

 

大切に思っていた人と離れた時にも。

似たような感覚がありました。

 

物理的に側にある、それだけが愛なのではなくて

どこにいようが一番近くにいるかのように

感じられる温かさ、優しさ、湧いてくる力、

大きな安心感、そこに意味があるんだなって。

 

大切な人、大切なものものほど

遠くへ行ってしまう、いなくなってしまう、

というようなことを言っていた人がいたけれど、

目の前から見えなくなることで

もっと近くに、さらに自分の中に、

一体化するような感覚とでもいいますか。

 

 

会いたい、と寂しく思う必要もないほど

もっと側にいる感覚。

…正直、全く少しも思わないわけではないけれど

寂しいと思う前にはもうそこに在るとわかって

すごいなぁと一人苦笑するような。

 

 

失いたくない、と

つい必死に握りしめたくなるけれど。

消えてなくなるものなど

本当は何もないのかも知れません。